今日は曇っていますが、ここの所いわきも桜が見頃ですね。
肌寒い日も続いてますので、暖かくしてその日その日を味わいたいと思います。
メディアも日々の会話でも、不安な状況からは逃れられないような話題ばかりです。
天災にも怯え、国の政策、人の心の動き・・・
どれもが連動して、最悪な状況をイメージしてしまいがちです。
って、口や心が不安がっていても実際どうでしょうか?
不安を解決するような行動に至っているのでしょうか?
昨年、震災に見舞われ、その時に感じたこと、決意したことが忘れ去られているような気がします。
何か大きく事を変えることも大切です。
その為にも、まず自分の足元を見ることなのではないでしょうか。
近代の便利さゆえに、自分や家族に対して怠惰に扱えば扱うほど、相手にいろいろと求めてしまうような気がします。
一日一日をしっかりと生き抜くには、何が必要で何が不要か。
その「面倒だから」ということは薬になるのか毒になるのか。
便利になったこの時に敢えて考えるべきことなのかも知れません。
いずれ死ぬ時は来ます。
それは明日かも知れません。
一人一人の支柱が立ってこそ、そこに志を同じくする人たちが集まってくる。
支柱が揺るぎないものならば、何が起きても動じにくくなるのではないのでしょうか。
と、私もその真っ只中にいます。
まだまだ登りつめるどころか、頂上さえも見えません。
けど、毎日の積み重ねなんだと思います。
「便利」と「安易」を混同している人をよく見かけます。
最終的には楽でない結果に行き着いているようです。
このブログに関しても、前の記事から読み返すと本当に同一人物かと思うくらい書く内容も変化しています。
これはブレているわけでもなく、
「私もそうだった。
だから気づいてここにいる。」
ということになるのではないかと思います。
必要なものだけに囲まれて、それらを大切にしていくことこそが真の幸せなんだと思えるようになってます。
日々の行を通して、そこに楽しみや喜びが見えてきます。
ストイックな内容かも知れませんが、これはこれで楽しみもあります。
今まで、面倒だと思って敬遠していた着物を着てみようと思ったのでした。
日本人だからなのでしょうか。
今までやらなかったことをやってみる。
できないと言わずにやってみる。
やってから考えてみるのもいいのかも知れませんね。
なぜに私が着物を着てみようと思ったか?
種明かしは機会がございましたら、そっとお伝えします。。
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