こんばんは。
またまた久々の更新になります。
雪が積もったり、春の陽気になったりと毎日天候が目まぐるしいですね。
天候にも十分対応できるよう、心も体も準備が必要ですね。
まずは温かく過ごせることがいいのかも知れません。
さて、タイトルの「残念な私」。
本当につい何日か前に腑に落ちたことになります。
日々の行から、自分と向き合うことに専念しております。
ここで、自分と繋がれば繋がるほどどれだけの仮面をかぶっていたかを思い知らされます。
脱いでいくから分かることなんですよね。
脱いでいくということは楽になること、前に私はそのようにお話していたと思います。
なぜ、楽なのか?
それは、仮面や概念に囚われない自分になるから。
そんな自分はきっと子供の頃の自分が近いのかも知れません。
それは子供帰りとは違います。
大人になった今だからこそ、周りと調和しながら自分らしさを発揮できるのです。
子供の頃は感情も状況もコントロールできません。
それゆえに傷ついて殻に閉じこもることもあるでしょう。
生きていく上でどんどん仮面を重ねていって、本当の自分が分からない人がいます。
ざらに、います。
どんなに仮面で取り繕ったって、分かります。
それは体にも顔にも言葉にも出るから。
残念な子供。
残念な大人。
残念な男。
残念な女。
残念な…
これは全てその字の通り、「念を残して」いったことの蓄積です。
相手がいるなら、その自分の思いを伝えることです。
特に親御さんがいるなら必要です。
それは、親御さんにとっても必要なことだから。
肉体のあるうちにお互いが消化することです。
お互いがそれぞれ楽しむ姿も癒しに繋がります。
まず、子供の頃につけた仮面から脱いで行きましょう。
ごく当たり前のことを踏まえて、スピリチュアルは成り立ちます。
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