こんにちは。
今日も風が強く、冷えますね。
私も年末年始、いや12月の初め頃から体と心の浄化反応、つまり毒出しが行われています。
浄化反応とは毒出しを経て、整理をし、自分にとって何が必要なエネルギーか、それを取り入れるには何をすればいいのかの指針を決める大切な時期になります。
前々から思っていましたが、私の表現は強烈でキツい印象を与えることが多い傾向にあると思います。
闇って強烈なんですよね。
けれども、中身は優しく言っているのと一緒なんです。
強烈さを伴うのは、きれいに言うと気づきにくくいいように解釈されてしまうからです。
それではなぜいけないか?
誰も変わろうとしなくなるからです。
もっと詳しく言うと、辛い状態をそのまま保つ選択をしてしまうからです。
私が受信してお話するのは、その方の潜在意識で「これは嫌だ!」と思っている部分です。
発信源はその方なんですよね。
ここ数年綺麗な言葉、優しい言葉が響かなくなってきているな、と思います。
皆、中毒になってしまって、光の言葉を怠惰な方向へと受け取る人が実に多くなりました。
顔色もオーラもどんどん黒くなる一方。
それはその方の価値観だし、ベストを選んでいますので、否定はいたしません。
これはちょっと違うかな、と思う方に向けてお話したいと思います。
私たちは見て見ぬふりをすることではなく、光ある存在であるがゆえに多様な生き方はあるのです。
窮屈な枠の中に閉じ込めないでください。
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そして本題です。
ここ数日整理するチャンスが巡っていたテーマです。
体も心も深いところから出てきてます。
子供時代の自分。
母との関係性も進行形で癒し中ですが、浮上していたのが幼少期の頃からの人間関係でした。
お互いに子供同士ですから、それは器用に人とコミュニケーションができません。
ただ、今だから思えることは家庭で優等生を演じようとするあまり、怒りが増してきて、結果身近な他人にぶつけていただけなんだろうな、と。
それでも私はそういう扱いを受けて、抗議するべきでした。
自分の為に怒るべきでした。
自尊心に責任を持つべきでした。
なのにシカトをされるのは自分が悪いんだ、と言い聞かせていました。
そして自分の素直な気持ちをシカトして、大人ぶって理解力のあるいい人ぶっていました。
あとは卑下ですね。
確かに自分が悪いところもあるかもしれません。
けれど、どっちが悪いって、まずは理由も言わずに相手に攻撃しまくる方でしょ、普通。
誰も怒らないからどんどん増長してしまう。
大人にわからないようにやるのも狡猾ですね。
感情を解放しながら行き着いたこと。
それは
「生まれ変わる」。
当時できなかったことを今の私が、今だからできることをやっていくことだと言われました。
子供ですし、こうして大人になっても間違います。
人間は間違うんです。
だからこそそれを反省し、そこで感じた思いがあるなら相手に手放し、そして毎日が生まれ変わるごとく生きるようにと。
ガイドに告げられました。
これは何もせず開き直ることとは違います。
本当に解放された時に、軽く明るく、そして心から楽しむことを是非味わってもらいたいのです。
少しの勇気が、自分も相手も愛で包みます。
それは時として優しい言葉ではないかも知れません。
本当に優しく綺麗な言葉は自分の真心から発してください。
そう、自分自身に。
そして大切な人へ。
少数でもキャッチされる方がいらっしゃったらと思い記事にしました。